私しがソフトの会社を始めて15年程になろうとしています。私自身がもともと栄養士であるということと、関東・九州の給食会社の本社に在籍した経緯があり、そのノウハウをソフトに生かせないかと考え、会社を作りました。現場の利益管理をやっていましたので、皆様方の仕事は十分に理解しているつもりです。思い起こせば昔、栄養士として、委託会社にいた時、栄養士としての教育[衛生・事務管理・調理・会社の基本理念]等を夏季、集中的に学びました。現場では調理技術の向上のため[手切りで繊きゃべつ・じゃがいものシャトー切り・塩を入れてフライパンのあおり方・雑巾での厚焼き卵、オムレツ]等を早朝&昼休みを利用してやったものでした。料理も餃子・春巻き・肉団子等も手作りで作っていました。大変だったのですが面白かった。また、他の人とスピードを競っていたので技術も上達しました。午前中は調理をして、午後から事務管理でした。当時栄養月報等は2・5・8・11月年4回保健所に提出しておりました。[現在の東京都と同じ]です。今みたいにコンピューターで処理するのではなく、バインダーに食品群別インデックスを作り、伝票を一枚づつ全て転記し、食品群別の購入明細を出していました。仕入先別の購入金額と食品群別の合計が合わなければならないのですが、電卓で計算していたので間違いが多く、最初から計算しなおし、夜通しがんばった経験があります。今考えれば懐かしく思えます。コンピュータの方は1981年にPC8801(NEC製)228、000円8ビット機を初めて購入しました。その頃言語はベーシックのプログラムが主流で、グリーンディスプレイでした。[カタカナ半角と英数字のみ]上の左の画像がマシンです。真ん中が教材で懐かしく、使えもしないのに今も大切に持っています。数年後2ハイトの漢字が使用出来るようになり、嬉しくて、秋葉原に対応するディスプレイを買いに言った事を覚えています。ディスプレイのみで[20万程、ちなみにフロピーが8インチ1ドライブ1メガ40万]単漢字変換でしたが面白くて、徹夜してでもプログラムを作っていました。この頃、栄養月報、材料出納月報は薄い紙で保健所からもらった用紙に給与栄養量等を手書きで書いていました。漢字が使えるようになったので、「同じような書式でコンピューターで出力してはいけませんか?」と上司に言ったら「だめ」とはねられたのを今でも覚えています。まだ時代の流れとしては早かったのかも知れませんね!..現在においては、インフラも整備され、とりまく環境はめまぐるしく変化しています。私は当時からこのような時代がまもなく来ると確信していました。ただ食べる為だけに生きるのではなく、食に携わった人間として実践的で素晴らしいソフトを残し、ユーザーが自分の手足として使って頂ける日がくれば幸いに思います。
代表取締役 大石幸敏 |